
会社経営の傍ら、
心理カウンセリング・コンサルタント講演・コンプライアンスに基づく講義なども行っています
りゅうこころです。(^^)/
今回も何かしら読んでいただけた方の参考になれば幸いです。
それでは早速。
名作てんびんの詩、知っていますか?
です。(._.)
これは私がよく「営業職」の講義で使うのですが、先ずはあらすじを。
その日、主人公・近藤大作は小学校を卒業した。
近江の大きな商家に生まれた彼は、何不自由なく育ち、今日の日を迎えていた。
そんな彼に、父は祝いの言葉と共に一つの小さな包みを手渡す。
中には鍋の蓋が入っていた。
彼には意味がわからない。
だが、その何の変哲もない鍋蓋が大作の将来を決めることになる。
父はそれを売ってこいというのだ。売ってこなければ、跡継ぎにはできないという。
しかたなく、大作は鍋蓋を売りに歩く。
まず店に出入りする人々に押し売りのようにしてすすめる。
だが、そんな商いがうまくいくはずもない。
道ゆく人に突然声をかけても、まったく見向きもされない。
(そりゃそうだ)
親を恨み、買わない人々を憎む大作。
父が茶断ちをし、母が心で泣き、見守る人々が彼よりもつらい思いをしていることを彼は知らない。
その旅は、近江商人の商いの魂を模索する旅だったのだ。
行商人のようにもみ手をし卑屈な商いをしても、乞食をまねて泣き落としをしても、誰も彼の鍋蓋を買うものはいない。
いつしか大作の目には涙があふれていた。
そんなある日、農家の井戸の洗い場に浮かんでいる鍋をぼんやりと見つめながら、疲れ切った頭で彼は考える。
〈鍋蓋がなくなったら困るやろな。困ったら買うてくれるかもしれん〉。
しかし、次の瞬間には
〈この鍋蓋も誰かが難儀して売ったものかもしれん〉。
無意識のうちに彼は鍋蓋を手に取り洗いはじめていた。
不審に思った女は尋ねる、なぜ、そんなことをしているのかと。
大作は、その場に手をついて謝る。
「堪忍して下さい。わし悪いやつです。売れんかったんやないんです。物を売る気持ちもできてなかったんです。」
女は彼の涙をぬぐいながら、その鍋蓋を売ってくれというのだった。
というものです。何が言いたいかというとですね、
商売の跡継ぎをさせるのにお父さんは息子に「鍋の蓋だけ」売ってこいと言った。
でも鍋とセットならいざ知らず、「鍋蓋だけ売れるかい!!」と知り合いの所を周ったが一切売れなかった。
こんなに売れないのなら捨ててしまおうかな?と思ったとき、汚い鍋の蓋が落ちていた。
「この汚い鍋の蓋も大変な思いをして売ったんだろうな・・・」と思うと息子は鍋蓋に愛情を感じ磨いていた。
それを見て、「あんた何してんの?」との問いかけに「鍋蓋が愛おしゅうございます」というのを聞いて、その人が物の大切さを知っているこの少年から買ってあげてくれないか」といろんな人に声を掛け、結果全部売れました。
結局主人が売らせたっかのはただの鍋蓋ではなく、「愛情を持って商品を売る」という心だったというお話です。
いま、このような気持ちで商品を販売している人はどれくらいいるでしょうか?
何にしてもそう。愛情を持って接すればクレーマーもバカッターもいなくなるんじゃないですかね。
教育がなってない!!教育とは「教え育むこと」です。
今の世の中にはこれが欠けていると思います。
僕は子供達に空手を教えながら、この教育を子供達からも教わっています。
みなさんも、足元を見直してみましょう。「人にフォローされたい、好かれたい」ではなく、自然に好きになって貰える様に一生懸命生きてみましょうよ。

最期までお付き合いいただき、ありがとうございました。 りゅうこころでした(^^)/