
会社経営・心理カウンセリング・教育コンサルタント・人材育成(ヒューマンリソース)講演家、りゅうこころです。ryukokoro
取り返しのつかない大失敗
私は文頭にもある様に「カウンセリングをしている人間」です。
しかしお代金は一切戴いておりません、それは自分が苦しんだ時に見捨てなかった全ての人達への恩返しだと思っているからです。
カウンセリングを求められれば真剣に向き合って足りない知識を補って行っています。
しかし経験でしか得られない事も多くあり、その一番大きな失敗が
『語らせてしまったばかりに』
という取り返しのつかない大失敗なのです。
「性的被害を受けてひきこもり自殺未遂を繰り返している娘を何とかしてほしい」
というご依頼を受け、部屋の扉を開けてくれるまで十時間、話をすること十数日、トイレに行っている間にリスカをしてしまうなど。
そんな苦しみを背負った女の子のカウンセリングを生物学的に明らかに劣等種である男性の私が受けてしまった事が間違いの始まりでした。
扉越しの会話
最初は扉越しに話しかけても返事もしてくれない、音楽のボリュームを上げて聞こえないようにされてしまう。
それでも自分の両親が目の前で自殺した事などを約十時間かけて話している内に
『触ったら自殺するからね』
と言われて1cmだけ扉を開けてくれた。
大進歩だった、ご両親がどんなに語りかけても空かなかった扉が少しでも空いたのだ。
空いたところで何もせず、相変わらず扉越しに話をする。
お風呂やトイレはご両親が仕事でいない時にすましているらしく、それでも部屋の中は凄まじい事になっていた。
『ねえ、両親が死んでるとこの話、もう一回聞かせてよ』
そう言われて僕は事細かに説明した。自分の傷をえぐる事も出来ない人間に心は開いてもらえないと思っていたからだ。
前回よりもより詳しく話をする、目の前でぶら下がっている両親。
証拠として降ろしても貰えず写真をいっぱい取られ、第一発見者として本当に息子なのか、とかいろいろ聞かれてようやく降ろされる頃には
「人間の首ってこんなに伸びるんだ」
と思ってしまう様な状態。
中に入れてくれた
『ごめん、もういい』
そう言って扉が開いた。
『先生だけ入って、他の奴は入ったら自殺する』
僕は医師でもないし慈善事業のつもりでやっているので先生と言われることが何だかこそばゆかった。
彼女はゴミをどかして僕が座れる場所を作ると
『辛い話思い出させてごめんなさい』
と謝ってくれた。
僕には生まれつき精子がない、よって女性を見ても健全な男性の様にムラムラしない。
そんな話をしながら
『不思議な人、男の人と話しているって感じが全然しない』
と初めてこの時彼女の歯を見た事を覚えている。
世の中の事、K-POPの話、ジャニーズの推しの話、アニメの話、とにかくたくさん話した。
「明日また来るから、その時死んでたら許さねーからな」
なんて冗談が通じるところにまで状況は進展したかに思っていたが、それは全て僕の自己満足だったことを後に知る。
性的被害の話
この話の時、今度は彼女の涙を初めて見た。
ワンワン泣いてただただ「うんうん」と訊いている私に少しずつ距離を詰めてきて、
『後ろ向いて、背中貸して』
と背中にしがみつくように彼女は乱暴した男に対する罵詈雑言を叫びながら泣いた。
途中泣きすぎで過呼吸を起こしかけたのでそこは処置し、またくるりと背中を向ける。
『何で先生は私を押し倒さないの?』
と訊かれる。
「君は綺麗な女の子だ、でも私にとってはそれ以上でもそれ以下でもない、そういう感情がわからないのだ」
と真面目に答えると
『変な人』
と今度は笑顔を見せた。
それからも毎日彼女の部屋に通う、少しづつ部屋が綺麗になっていくのがわかる。
素人ながら
『先生、髪切って』
と言われて彼女の言うとおりにやったが見事に失敗した、それでも彼女は喜んでくれていた。
『他人に話したのは初めてで、すっきりした』
と。
毎日通う
それからも毎日通った。彼女の部屋はどんどん綺麗になり、女の子っぽい部屋が姿を現す。
と同時に私が到着する頃に合わせてお風呂に入り、来ている服もずっとスウェットだったものが女の子らしい服装に変わっていった。
口調も穏やかになり、彼女が信頼できていないご両親と食事をすることは無かったが、
『先生と二人でコンビニのお弁当を小さなテーブルの上で彼女と二人向き合って食べる時間が大好きだ』
と言ってくれていた。
それが友達同士感覚だったのか恋人だったのか夫婦だったのか、私にはわからないが彼女はその時間を楽しみにしていてくれた。
将来の夢
『先生、私将来看護士さんになりたいんだ』
彼女の口からきいた前向きな言葉。それから
『学校に戻ってみようか悩んでいる』
とか
『行き帰りが怖い』
など、比較的前向きな言葉が出るようになった。この頃にはもう自傷行為はおさまっている。
そんなある日、
『先生、明日学校に行ってみるよ!なにか変われそうな気がするんだ!』
と彼女の口からきく事が出来た。私は彼女の前で涙を流して喜び、彼女も
『何で先生が泣くの』
と二人してボロボロ泣いた。
翌朝、
「娘は行ってきますと学校に向かいました」
と親御様から電話があり、
「久し振りの学校がどんなだったか、聞きたいので後ほどお邪魔します」
と会話を終える。
何をしてきたのか
一時間も経たないうちに電話が鳴る、「娘が電車に飛び込んだようだ!」と。
私は悪戯に彼女の同情心に付け込んで聞いてはいけない事、話させてはいけない事を彼女の口から語らせてしまった。
その結果、彼女に
『もう未練はない』
とこの世を去る決断をさせてしまった。
私は一体何をしてきたのだろう。
一生懸命寄り添ってきたつもりだった、専門の先生からすれば生兵法だったと言われるかもしれないが、臨床心理士として私も必死でカウンセリングしてきたつもりだった。
でも結果が物語っているのは、全て私の自己満足であったという事だ。
『語らせてはいけない事がある』
私はこの時初めてこの言葉を知った。もちろん、
「強い自殺願望を無責任に擁護してはいけない」
とか
「他人に向けられた殺意に対してどのように対処すべきか」
など、学術的にはわかっているつもりだった。
彼女はすごく綺麗な笑顔で
『行ってきます!』
と前日にアイロンをかけた制服で家を出たと聞いた。
この覚悟を私は気付く事が出来なかった自分の愚かしさに、悔やんでも悔やみきれない。
自分の不甲斐なさを自らの身体の一部として、傷として残すために、葬儀に参列した。
『よく頑張ってくれました、娘のあんな顔を見られたのは幸せだ』
とご両親は言ってくれるが、彼女がご両親に笑顔で挨拶したと聞いた段階で私は気づくべきだった。
3/20が彼女と僕が出会った日、亡くなった日は覚えていない。
思い出したら私が私でいられなくなりそうだから。
彼女はこの世を去り、私はのうのうと生きている。
これからも一生彼女の死を背負って、贖罪を果たそうと思う。
りゅうこころでした。ryukokoro