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自死と自殺の違いについて

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心理学
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会社経営の傍ら、心理カウンセリング・コンサルタント講演・コンプライアンスに基づく講義なども行っています、りゅうこころです。ryukokoro

今日、自殺免責について書いていらっしゃるライターさんの記事を読み、私も筆を取らずにはいられなくなって書いています。じっくりと読んで考えてみました。行きついたところは「自死と自殺の違いについて」でした。

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目次

  1. 自死と自殺
  2. 自死は良くて自殺はいけないのか
  3. 戦争という狂気の時代で考えてみる
  4. 自殺による訴えと自死との境界
  5. お前には人の痛みがわからないのか
  6. 「生きていればきっといいことがある」なんてウソ
  7. 結果・・・

自死と自殺

自死と自殺は近年『同じ意味合いとして、自殺から自死と言い換えましょう』みたいな風潮があります。私から言わせれば自死と自殺は全く別物。でも結果は同じです、「誰かを苦しみ悲しませ、取り返しのつかない傷を遺族が背負う行為」という認識が私の理解です。だから止められる自殺行為は「おせっかい」と言われようが「大きなお世話」と言われようが「お前に何がわかる」と言われようが全力で止めます。

これには訳がある、私の両親が幼い頃に自殺している事。私のブログの中の「7665日の物語」という小説の中に細かく書いてありますのでご興味のある方はどうぞ。

自ら命を絶つ方法『自殺マニュアル』が流行し、硫化水素自殺やドアノブにベルトを掛けて座ったまま絶命する方法など、当方としては甚だ迷惑な本が一時凄まじく売れて、まるで伝染病が蔓延するかの如く自殺が増えました。

様々な異論はあると思うが、私の中では

「自死とは」 人体の器の中に自らの命を宿した状態で己と言う存在を第二人称に置く事、即ち己を顧みず誰かの為に頑張り続けた結果、何らかの病に倒れて亡くなる事

「自殺とは」 人体の器の中にある自らの命を、自らの意志で分離させる行為。理由はどうであれ、その人の死によって誰かに心理的ダメージを与える様な身勝手な行為

と勝手に分類しています。

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自死は良くて自殺はいけないのか

と、よく訊かれることがある。「自分の命の選択を自分ですることはなぜ許されないのか」と。私の答えは「選べばいいと思いますよ。ただ、あなたが自ら命を絶つことで1人でも悲しみ苦しむ人が居る場合、私はあなたの自殺を絶対に認めないし止める最大限の努力をする」です。

今回読ませていただいたライターさんの記事の中に『若者の自殺抑止にスポットが当てられ、老齢者の自殺にはそこまでではない』『世界規模の発表では実は女性の自殺者数の方が多いのにそれが公にされない』『自殺免責に関する保険会社の年数引き下げ』

という意味合いの文面が私の目に留まった。どれも読んでいて非常に頷く事が出来る内容であったし、死というものについて本当に真摯に向き合っているからこそ書く事の出来る文章だと感銘を受けました。

「保険会社の自殺免責年数引き下げ」は、保険業界過当競争に勝って存続する為には引き下げないと生き残る事が困難な世の中になったから。「女性の方が自殺者が多いのに報道されない」のは「女性の自殺に対して世論が過剰に反応するから」「老齢者の自殺抑止にスポットが当てられないのは、この国の年金・社会保険の仕組み自体が(老後の余暇を過ごしてください)という仕組みではなく、(国から払わなくていいなら払いたくない)というシステムだから、だと考えます。

「なんだ!老人は死ねって事か!」となぜか私が罵倒されることもあります。『そうですよ、必要とされていない人にこの国はそう言っている様なものなのです。だから誰かの為に頑張りましょう!』と私は答えています。

「生と死は同価値である」というのが私の持論です。分かり易く言うならば「出生も死亡もどちらも自分で選ぶことは出来ない」という事であす。どんな環境に生まれ出てくるのかも選べなければ、どんな死に方をするのかも自分では選ぶことは出来ない。

産まれ方が選べないのに死に方だけ選べるのはおかしい(自分で命の期限を決められるのはおかしい)という、苦渋の決断である。なぜ苦渋の決断だったのか、そもそも自死も自殺も綺麗ごとだって思っているからです。

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戦争という狂気の時代で考えてみる

・ 敵兵を殺害した兵士を責める権利を誰が持つのか、そして誰が救えるのか

・ 『お国の為に散ってきます』と飛び立った特攻隊兵士を誰が責められるのか、誰が救えるのか

・ 敵兵ではなく一般市民を殺害した兵士を責める権利を誰が持つのか、そして誰が救えるのか

・ 米軍に囲まれて逃げ場が無くなり、手榴弾を抱いて自決した硫黄島の人々、若しくはひめゆり学徒隊の自決を責める権利を誰が持つのか、そして誰が救えるのか

「いやー、戦争と言うのは狂気の時代で普通の精神状態ではないからねー」と本当に沢山の平和ボケした人達から言われるが、『人が死ぬ』という事に関しては同じではないだろうか。歴史の解釈や愛国心の教育の中で「お国の為に散っていった特攻隊は英雄である」「女学生は敵兵から辱めを受ける事を良しとせず自決の道を選んだ真の大和撫子である」と我々は教わってきたが、もちろん愛国心に命を賭した人々をこれっぽっちも悪く書くつもりはない。彼ら、彼女らの悲劇の上に現在私が平和にのうのうと死を語っていられるのだから。

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自殺による訴えと自死との境界

新宿南口歩道橋で起きた公開自殺、遺書を残していじめから解放されたくて自殺を選んでしまった幼い子供、過労と非常識教育によって自殺を選んでしっまった某大手社員・・・例を挙げればきりがないが、自殺によって残留念を残すケースは珍しくない。三島由紀夫氏の公開切腹もその一つだろう。

男性から暴行され自分は汚されてしまったと自殺を選んでしまった女性、震災によって伴侶を失い仮設住宅で絶望してしまい自殺を選んでしまったご高齢の女性、余命宣告されて病に苦しみぬいた挙句自殺した女性。

私自身、「自死」と綺麗に解釈したい。でもそれをしてはいけないのだ。苦しかった事でしょう、辛かった事でしょう、悲しかった事でしょう、私なんかには想像も出来ないほどの生き地獄だったことでしょう。

それでも、私は自殺を抑止します。

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お前には人の痛みがわからないのか

そう、言われることがよくあります。私は幸いにもうつ病が酷い時に何度も自殺を考えながらも死ねなかった、だから今がある。月並みな言い方をするならば『生きているから今がある』のです。

『飲酒運転の車が小学生の列に突っ込み、4名の子供が死亡した』という案件のご遺族をカウンセリングしました。みなさん一様に『まだ信じられない、ただいまって帰ってくる気がする』と言われていました。これも死です。

「もう先が無い(余命宣告)と判っていて嘘で塗り固めた希望を抱かせて、無駄に延命するのは死の権利を奪っているのではないか!」とも言われます。実際に奪っているのだと思いますし、私のしている事は詐欺だとわかってやっています、ではなぜやるのか。『ご遺族となる人々を少しでも納得させる為』です。これも死です。

「生きるのに疲れました、と遺書を残し通勤ラッシュの電車に飛び込んで自殺」これも死なら、「列車に跳ねられ飛んできた肉塊によって頭部を損傷して亡くなった通勤者」これも死です。

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「生きていればきっといいことがある」なんてウソ

日本国内に於いては仏教徒が多く、次にキリスト教徒、イスラム教徒となっている。器から離れた魂はお釈迦様の元に行くのか、主キリストの元に行くのか、コラーンに記された正しき道に進むのか、何れにしろ魂と言う存在は浄化された世界に向かい、亡骸(器)は火葬・土葬・風葬・散骨など埋葬方法はこれまた宗教により変わるが、人間の手によって付される。

私はカウンセラーで宗教学者ではないので詳しくは知らないが、自殺をする(自らの器を神の決めた期限前に自ら捨てる)と、地獄に行くとか三途の川を渡る事が出来ず浮遊するとか言われているのを聞いたことがある。

だからといって不条理不平等不合理、弱肉強食で差別主義の人間社会で「死ぬ気でやれば何とかなる!」「生きていればきっといいことがある」なんて私は嘘八百だと思っている。生きていれば『他人の不幸を見届ける回数が増えるだけだ』と考えている。

結果・・・

命が器から離れるべくして離れるその日まで、生物学的に一番生命力の弱い人間同士、慰め合って傷を舐め合って生きていくしかないのではないでしょうか。「この世に自分の意志ではなく生を受けた以上は(自分の意志で死を決断実行しては)生まれた時に関わってくれた人間全てを裏切る事になるから、だから自殺はダメ」というのが私の結論です。

「産んでくれなんて頼んでない!」というのは子供の理屈。大人はそれを論じてはいけないと思うのです。

今回は「死」というものについて書いてみました。

りゅうこころでした。ryukokoro

ここでしか明かされないりゅうこころ、考え方の秘密。「僕は白ではなく漆黒、水になれなきゃ毒になれ!」|りゅうこころ ryukokoro
会社経営・心理カウンセリング・教育コンサルタント・人材育成(ヒューマンリソース)講演家、りゅうこころです。ryukokoro はじめに このnoteをこんな高額設定にさせていただいたのは、 「普段絶対明かさない、僕の頭の中だから」 です。 読まれた方の中には幻滅される方もいらっしゃるでしょう。 それでも僕...

高い講演料を払って聞きに行かなくてもあなたの知りたい事はここにある!心理学士で経営者が語る30年分の知識と経験を文章にしてあります。もしあなたが知りたい事があったらコメントください。その案件について私が出来る限り解説します。さあ、私の40年分の知識と経験を開いて御覧なさい!きっとあなたにもいろいろなものが見えてくるはずです。

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