やがて茜ちゃんが目に涙をいっぱい溜めて入ってきた。
『が・ざ・ま・ぐ・ん・・・』 泣きそうなのを堪えている。
『大丈夫だよ、こっち来て座って。。』横に座ってもらい僕は右手を
差し出した。茜ちゃんが僕の右手を握ってくれている。
『いいかい茜ちゃん、よく聞いてね。僕も師匠も嬉しいんだよ』
『え?何で?私がいなかったら二人ともこんなケガしてないのに。。』
『違うよ。元々狙われたのは僕、そして助けてくれたのが師匠。その二人
が手術するにあたってお母様を呼んできてくれたのが茜ちゃんだ。』
手を握って涙を浮かべてコクコク頷いている。。
『僕も師匠も君を守りたい、守らなきゃって思えたから、多分いつもよりも
2人とも強かったんじゃないかな(笑)だからこれで済んだんだよ。生きて
るもの。君のせいでケガをしたんじゃない。君が僕と師匠を助けてくれたん
だよ。だから、ありがとう ♬ 』
「わーん」と彼女は泣いた。ずっと我慢していたのだろう。
僕は右手で彼女の頭を撫でながら言った。
『ごめんねー、怖かったよねー』
『風間君やお父さんも、お兄ちゃんみたいに居なくなっちゃうんじゃ
ないかって思って、怖くって。。私。。。私。。。』
僕は握られていた右手をほどき、自分の唇をちょいちょいと指さした。
「キスして。。」の合図。
彼女は泣きながらキスしてくれた。優しく温かかった。
『ほら。温かいでしょ。師匠も僕も生きてるから大丈夫(笑)男の力はさ、
女の子を守るためにあるんだから。茜ちゃんの唇が特効薬!!』
そういうと、笑顔で何度も「うん、うん」と頷いた。
『さあ元気になったね。安心した。じゃあお母様呼んできてくれるかい?』
『はい、待っててね!』そう言って彼女は部屋を出て行った。
『・・・ほーーーう、そんな特効薬があるんなら俺もほしいけどなぁー』
師匠の声だ。全身からドッと汗が噴き出した。「これはヤバイ!!!」

『言ったろ?まんざらでもねぇって(笑)大切にしてやってくれな(笑)
しかしまぁ、あれだけの人数相手に俺ら。。楽しかったよなぁ(笑)』
『押忍!!』 怪我人2名、間違いなく空手バカである。
門下生が増えたのでお母様もスーパーのレジに行っている余裕がなくなり
ご自宅にみえた事が幸いだった。茜ちゃんが呼びに行ってくれた時も自宅に
いてくれたからすぐに駆けつけてくれたし、我々が入院中は毎日病院に来て
くれた。そして稽古の日には自らが師範として指導をしてくれた。
茜ちゃんも学校帰りに欠かさず来てくれていた。一週間が過ぎ、
師匠の方が回復が早かったようで、僕よりも先に退院する事となった。
『おう、先に帰って待ってるからよ。まだしばらく稽古はできんから
道場には顔出すくらいにしとくわ。明日からも毎日茜はくるぞ(笑)』
悪い顔をしている。。でもどこか嬉しそうだった。
『押忍!必ず帰ります!!』
『あたりめーだ! ばかやろう(笑)』そう言うと病室を後にした。
茜ちゃんは毎日来てくれた。土日にはお弁当を作ってきてくれたし、ずっと
話し相手になってくれた。僕は勉強を見てあげながらまるで夫婦のようなこ
の時間を楽しんだ。「この子を守ってケガをした」と思うと痛みなんて何と
もない。その他、門下生やその親御さん、学校の先生など入れ替わり立ち代
わりお見舞いに来てくれた。施設の頃の寂しさに比べたら、今の方が何百倍
も幸せだ。先ず包帯が取れたのは脚だった。傷口は5センチくらい。刃物が
骨に当たったので傷は深かったが、ちゃんと曲がるし蹴りも出来る。
その3か月後、左薬指の包帯が取れた。何度も消毒するたびに見ていたので
そんなにショックはなかったが、「あ、本当に曲がらないんだ」という感じ
だった。薬指1本曲がらないだけで握力はすさまじく落ちる。MAX100キロ
あった握力が、今現在40キロしかない。リハビリもして鍛えてもなお、この
数値である。こればっかりはどうしようもない。大体日常生活で100キロも
の握力は必要ない。まだ指がくっついていてよかった。
晴れて退院の日、先生と看護師詰め所にお礼に行き、家族4人で病院を
出た。もう稽古したくてウズウズしていたが、師匠から
『お前はしばらくランニングと柔軟。特に固まってるから柔軟は念入りに!
茜は見張り役!!』
と言われていたので、毎日茜ちゃんと一緒にランニング、柔軟をした。
久々に道場に顔を出すと子供達が「おかえりなさい!!」と迎えてくれた。
「たっだいまーー!」と子供達を抱きしめ、僕は声だけ参加していた。

さて、遅れていた約3か月分の勉強を取り戻さなくては!!と部屋で
教科書を開いた時、コンコンとノックして茜ちゃんが入ってきた。
『ノート、頑張って取ったから。。。』
見てみるとなんと!! このままテストにできそうなほど立派なノートが
出来ていた。
『すごいじゃん!完璧じゃんこのノート!頑張ったねー、ありがとう!!』
これなら一週間もあれば遅れを取り戻せそうだ。。。。わかってる。。。

ありがとうのキス。ぎゅっと抱きしめて「ただいま」と何度もキスをした。
『おかえり、大好き。。』もう嬉しいなんてレベルじゃない。このまま
ベッドに押し倒してしまいそうな気持をかろうじて理性が抑えた。
大丈夫。キスはいっぱいしたが、それ以上の事はしていない。師匠の顔も
お母様の顔も真っ直ぐ見られる。何もやましくない。でも恥ずかしい(笑)
流石、あれだけのノートを作り僕に毎晩授業してくれた茜ちゃんは中間テス
トで学年1番を取った。そうなのだ、勉強とはインプットしてアウトプット
して初めて成果が表れる。教えるということはそういう事なのだ。
自信を付けた彼女は僕がやっていた子供達への寺子屋授業を手伝ってくれる
までになった。素晴らしい成長だ。僕の入院もまんざら無駄ではなかった。
夕食の時に師匠が娘の学年1番をみて驚いたことは言うまでもない。
『すげーな、茜!!あの特効薬って勉強も出来るようになるのか?』
2人してお味噌汁を噴き出した。茜ちゃんはかろうじて手の中で納まり、
僕はテーブルに思いっきり噴出した。

そうだった、あの後茜ちゃんに師匠から言われたことは全部話していた。
だから、「特効薬のキスの話」を師匠が知っている事は2人とも解っていた
のだ。知らなかったのはお母様だけだ。
『なあに?特効薬って? まぁ、大体想像はつくけどねー ♬ 』
そう言いながらお母様はニコニコと僕が噴き出したお味噌汁を拭いて
くれた。拭いてもらわなけばならないほど、リアルに噴き出したのだ。
『す、すいません。。。』
『いいのよ。茜が笑顔だから ♬ 』
家族3人の視線が茜ちゃんに集まった。ティッシュで口元を抑えたまま、
恥ずかしそうに下を向いていた。
