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7665日の物語 30

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小説
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目が覚めた。というより看護師さんに起こされた。『風間さーん、

起きてますかー?わかったら瞬きしてください』・・・「パチリ」

自発呼吸の確認、嚥下確認が完了するまでそこから1ヶ月掛った。呼吸器は

外れ、食道に入れられたチューブも外された。何とか左半身に感覚が戻り

リハビリを始めてから3か月。

僕は退院する事となった。ここからが地獄の始まりである。動かない体に対

する絶望感、焦るなと言われても焦る。毎日がジレンマとの戦い。医師が言

うには「非常に回復が早い」と言われているのだが、毎日毎時間自分の体と

向き合っている僕はだんだん希死念慮が起こり始める。「死にたい願望」

だ。そうしたい気持ちはあっても身体は動かない。この負の連鎖が僕を

「重度のうつ病」にした。食欲は無くなり無気力になり、昼夜逆転の生活が

始まる。痛みのない腕を切りつけ、熱したフライパンを押し付け、その都度

家族に病院に連れて行ってもらう。道場はあっても、もう空手どころでは

ないのだ。それらの傷は今も生々しく傷跡として残っている。

身長180㎝筋肉隆々とした身体は見る影もなく、やせ細りお腹だけが出る。

全ての世話を家族に頼るしかなく、もはや生きている意味さえ分からない。

僕は茜ちゃんに打ち明けた。「生きてる意味が解らない・・・」と。

彼女は少し考えて僕に言った。「風間君が居てくれる事。それが意味だよ」

そうだ、いつしか僕は自分の事しか考えない様になっていた。彼女はお兄さ

んを亡くしているのだ。師匠やお母様だって大事なご子息を早くに亡くし

て、意を決してその場所に僕を迎えてくれたのだ。僕がこんな事でどうす

る!!そこから自分の中の「治してやる!」という決意に火が付いた。マイ

ナス思考は捨てる!マイナス思考になる事が出来るんだったら捨てることも

出来るはずだ!と言い聞かせて実行した。顔が半分動かなくても笑顔を出

す。動かない方の身体を忌み嫌うのではなくて愛してやろう。無くなったわ

けではない。血液が流れているのだから。生かされているのだから生きなき

ゃ!皆さんに助けてもらってばかりじゃなく、僕も何かしら助けになりた

い。道場の床をはいずり、毎日リハビリ猛特訓が始まった。先ずは心の問題

と身体の問題と分けて考える事とした。リハビリ猛特訓をしていない時には

心理学を勉強した。心が壊れたのなら修復する正しい知識を得て実践すれば

いい。猛特訓と猛勉強を毎日行った。ひたすら汗だくになって這いずり回っ

ている僕に師匠から「なぁ、息吹。呼吸使ってみたらどうかなぁ」とアドバ

イスがあった。そんな事も忘れていた。呼吸によって鉄壁を作り出していた

じゃないか!!僕は呼吸を意識しながらリハビリという名の這いずりをする

ようになった。その内、「擦り傷が痛い」という感覚が芽生え始めた。

「おお?進歩じゃん!!」ここから立ち上がる事が出来るようになるまで

早かった。立ち上がってしまえば、正座で足がしびれている様なものであ

る。「動こうと思えば動けるもんだ!」と動いていたら徐々に歩く事が出来

る様になってきた。同時に左手の感覚も戻ってきたので、持ちにくいながら

も鉛筆やお箸など、極力左手で使うように意識して行った。それから

1年ヵ6ヵ月が過ぎ、僕は人並みになった。体中の全ての麻痺はなくなり、

やせ細った身体はある程度見られるくらいの身体に戻った。それもこれも、

家族全員で少しの回復でも喜んでくれたからだ。自分が頑張ったんじゃな

い。皆が頑張って見守ってくれ、治してくれたのだ。

師匠の紹介で近所にある町工場を訪れた。就職するためだ。前職のような勤

務時間が長い・昼夜逆転する等はなく、完全な日勤(昼間のお仕事)でお休

みも戴ける。こちらでお世話になる事になるのだが、その決定打は町工場の

社長様の一言だった。「ウチで働きながら身体を治せばええ。」こんなにあ

りがたい言葉があるだろうか。僕は営業成績トップで達成感に浸っていた自

分を恥じた。今できる事を120%やる!そう決めて実行した。僕の身体は

工場勤務で筋肉が戻り始め、太陽の下で仕事をすることで夜にしっかりと眠

れるようになった。営業をバリバリやっていた頃に比べると、給与は激減

した。お給料を戴けてリハビリさせていただけるのだ。ありがたい!

そう思いながら仕事をしていると、ある日社長が傍に来て言ってくれた。

『若い奴を入れて会社を成長させ、お前が社長やれ』と。。。。

確かに僕が最年長者だ。このままでは所謂「事業継承者不足」で、社長の

代で会社も終わってしまうだろう。そんな事させてなるものか!!僕の経営

魂に火が付いた。付近の高校を周り、手作りのチラシを配り、営業成績を上

げていた頃と同じように「先ず自分を好きになってもらう」ことを始めた。

初年度こそ入社する人はいなかったものの、2年後からは毎年2人づつ若い

子が入ってくるようになった。有難いことに人不足が深刻で派遣労働者や

外国人労働者で多くの企業が運営している中、僕の会社は日本人の若者

100%で経営している。これは決して派遣蔑視や外国人蔑視ではない。

口コミで若い子が集まってくれたという嬉しい報告だ。

この会社に就職して3年が過ぎ収入も安定した25歳の夏の早朝、

僕は師匠に言った。 『茜さんと結婚させてください!』 

返事は『おう!わかった!』だった。 正直ほっとした。。。

その日仕事が終わって帰宅し『ただいまー』と帰った瞬間、玄関に仁王立ち

している茜ちゃんがいた。

『ちょっと!私の意見も聞かないでどういうことよ!』すごく怒っている。

何を怒っているのかわからなかった。というのも、僕は彼女とは永い付き合

いなので、当然わかっているものだと思っていたのだ。今から考えれば傲慢

極まりない。

『え、ごめん、なんのことだろう?』この時まだわかっていなかった。

『最低!知らない!!』初めて茜ちゃんに「最低」と言われた。これは

本気で凹む。。おろおろしているとお母様から助け船があった。

『風間君、茜にちゃんとプロポーズしたの?』はっ!!それか!!

僕は急いで階段を駆け上り、茜ちゃんの部屋のドアをノックした。

『ごめん、茜ちゃん、話があるから開けて!』 『聞きたくない。。。』

『ちゃんと説明するから、話をさせて』『放っておいて!聞かないから!』

これはまずい。。とんでもないことをやらかした。。。僕は上着を脱ぐと

彼女の部屋の外からドア越しに話し始めた。

『開けてくれなくていい、このまま聞いて。無神経になりすぎてた。僕の中

で君は居てくれて当たり前の存在になってた。君は苦しい時も嬉しい時も常

に傍にいてくれたし、もう僕にとっては身体の一部のような存在なんだ。

僕が初めて君に出会った時、土下座して蹴り上げられたよね。その時僕は

「ぬくぬくと両親揃って甘やかされた身の程知らずのバカ娘が!」って思っ

たよ。でもお兄さんの事を聞いた。最初の考えは間違ってたってすごく反省

した。それから師匠が動いてくれて僕は施設から抜け出せた。

君は僕をお兄さんの様に慕ってくれた。すごく嬉しかったよ。仏壇の前で

一緒に泣いたよね。覚えてる?

『 大変な勉強ともサヨナラ!!心理学に基づいたこの考え方 をマスターすれば、学校の成績 も確実に UP する ! その考え方とは』 のこたえ!!!|りゅうこころ ryukokoro
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